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カナダ留学で得た事と、最近思った事について書きます。

完全に働かないということの難しさ

どうもこんばんは。

 

ダイエットだ!オウオウと息巻いたものの夜中の二時にラーメン餃子半ライスを食べてしまいました。しかしライスだけはよく見ると最近の私がお茶碗一杯分のご飯の量を減らしていることから、それと半ライスの量がほぼ同量でありこれは全ライスであるという事実を見てみぬフリをしました。

 

 

はてさて前回の記事からだいぶ間が空きました。

きっと心清き読者の方々は忙しかったんだろうなぁとしみじみ思われるかもしれませんがそういうわけでもないような、、優先順位の問題ですね。

 

さてこんな時間なのですが最近流行りのニートについて一考してみたいと思います。

理由は自分は世の中に居場所のない者に一度なって見たかったと言うのがもともと根元にあったからです。

 

ニートの定義は厚労省と内閣府で若干違うとかいうことですが、ざっくり言うと

勤労・就学・家事の全てをしていない15歳以上35歳未満の人をさして言います。

今では既婚者でも家事をしていないとニートなんですね〜

学校に学籍はあっても通学をしていないとニートですが、通信制は通学をしていないけどもそこのところはどう言う見解なんだろう。

 

そもそもなんですが私は大学卒業前後くらいの頃は、空白期間ができてしまうということを非常に恐れていたんですね。

理由は少しでも空白期間があると、就職・転職に不利!というそんな刷り込みが就活中とかにできていたからです。無というダメージを負という!

 

んで実際働いてみるとこりゃ参ったという状況になり、なんとか抜け出す道を考え退職をします。そして退職と同時にとある学校へ入り資格を取りました。

そんでもって資格取得と同時に再就職し、やんややんやと働くわけですが、その頃から某西村氏の「浪人時代は何の身分もないという経験をして色々わかった」というのに何となく興味を持ったわけです。

 

というのも多くの人たちは、どこにも属さない・社会に参加していないという状態を敬遠するでしょう。

おそらくは「わ〜どこにも居場所がない〜こわい〜居場所を作らなきゃ〜」となるのではないかと。

もしそうなってしまうと、いわゆる見えないカーストの最下層に落ちてしまったかのような感覚になるのではないでしょうか。これがなかなか興味深かった。

 

そしてその後短期間ですがその「何処にも属さない」経験をしてみたわけですが、

一旦そこまで落ちてみると何となく恐れていたこととか、何かが身に降りかかるとかいった事は案外なかったりします。

これはその人がその時置かれている状況に左右されますが、、、

後に響いたりとかね。

 

私自身は今まで必ずどこかに属し、電車の乗り換えをジャストタイミングで乗り換えるような人生であったのですが、それは次から次へとやる事が決まり、狭い意味で休まる気がしなかったんですね。

 

なので、トロントに行って帰ってきてwebスクールへ入るまでの約四ヶ月の間は、

今まで決して経験しなくて済むのであればしない方がよい空白期間(無職というよりニート)になったのではないかという事を思い出したのです。

 

しかし、世間的に見ればそうかもしれませんが、実際その間私はほぼ毎日初めて触るHTML&CSS(最近鬼サボり中やらなきゃ)やTOEICの練習をやっては止めやっては止めを繰り返していたので、案外頭働かせていたんですよね。

 

さらに諸事情で家の料理は私が作った方がどう考えても美味しいので炊事とかやってたので家事もやってたことになります。

 

するとニートの定義に当てはまる就学はクリアしても家事は引っかかってしまうんですよね....

そんなわけでああついに自分も全く何もしないという期間が訪れたのだと思いきや癖なのか恐怖心なのか何もしないわけにはいかない、というオートブレインワークが働き、ニートは達成し得ませんでしたよと、、言う事です。

 

つまり何が言いたいかというと、

世の中の何処にも属さない、居場所のない人にはなれた。

しかし家で勉強したり炊事をしたりしてたのでニートにはなれなかった。

 

というわけなのです。ニートのハードルは高い。

 

ちなみに何処にも属さない状況というのは経験してみたところ別に特に何も新しい発見はなかったです。次またそうなっても別に恐くないという事くらい。

もし職質されたりしたら、警察官は無職に厳しいらしいのでどんな職質を受けるか楽しみだったんですけどね。。(仮定法過去完了)

 

んで、仮にニートの人がいたとしても、洗濯物取り込んだりトイレ掃除とかすればそれは家事手伝いになるじゃないですか。するとニートの定義から外れるんですよね。

「程度」が示されてればわかるんですがないので。

 

大体世の中では働いてなくて学校に行ってないとニート扱いなんですが、家事は割とハードルが低いので外出れないけどニートは嫌だという人は風呂掃除とかから始めてみたらいいんじゃないかなーと。

中には「個人的な遊び以外一切したくない!」という強いニートもいるかもですが。

 

んで、良い悪いは別として、家事を手伝っていればニートではない、という定義もどうなのかなぁ、、と思ったりするのです。

家事って大家族の家事手伝いはそらもう労働だし介護もあるしで大変ですが、

逆に掃除だけしておけばニートの定義から外れるから俺ニートじゃねーじゃんオッケーも成り立ってしまうので、いやあそれもどうなのかなぁと、、、

 

人が家庭や社会でどう生きるかなんてそれぞれに任せる一方で、

行政が再スタートが切れるよう整備した取り組みは何かしらアップデートし続けたらいいとは思うのです。

ただ、ニートはいけない!ニートをなんとかしなきゃオラァ!というのはいやー放っておけばいいんじゃないかと思うのです。

なんかこう、精神疾患とかで病院行かなきゃとかいうわけでもなく健康で関係も良好ならねぇ。

というのも無理やり引っ張り出しても人事とか困るっていうの。

 

そんなわけで外の社会の何処にも属さないというのは一応経験して不安があるような気もしたけど案外なんでもなかったし割と自由やれてたよというのと、

ニートを脱する方法は簡単な一方で、ニートというものを問題視してなんとかしたいなら定義はもう少し絞った方がいいんじゃないかなという見解でした。

 

一瞬暇になったので何も考えずにリハビリがてら書いたという言い訳だけ残しておきます。

 

 

 

 

雑記

最近学校の課題とかやりたくないなーでもやらなきゃーという時は、

ベジータがスーパーサイヤ人に目覚めた時の事を思い出してスーパーシバテリ(スパテリ)になったつもりでパワーを再燃して取り組んでいます。

これが案外効きます。