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カナダ留学で得た事と、最近思った事について書きます。

いちいち癇に触るヤローだ!!!!!

どうもこんばんは。

 

喉の辺りに、冬マラソンし終わった後のような冷たい何かを感じつつ咳が出ています。

 

 

はてさて今現在は後期の授業が全て終わり、(まだあったのに履修し損ねた)卒論だけの状態となり、それもやっつけで参考文献などを提出してしまったので割と解放されています。

卒論についてはおそらく5月くらいから本格的に書き始め、8月が一気に進めるピークかもしれません。やだー

私のことなのであんまり信用してませんがまあそれっぽくやってくれるでしょう。

A4で17ページ書かねばだから、30枚とかそんな量にはならないのが救い。

ただ沢山本を読んで知識をつけねばというのが痛いところ。

 

んなわけで今日は久々に教育の話でもと。。

 

過去の話ですが、担任不在によりとある高学年のクラスの朝の会のみ、2〜3週間担当を任されました。

入ってみたら、まぁなんというか倦怠感。それぞれがそれぞれウヨウヨしている感じ。

んで、非行少年とかはいないものの時間にルーズだったり迅速に行動しなかったりと目に余ることがややあった。

 

一日目

朝の会で、日直が「元気な声で、おはようございます」をかけます。

しかし帰ってくる声に元気はなく、数人程度しか挨拶をしない。

二日目

昨日と変わらず。

思ったことは、目の間に私が立っていようと居なかろうと、惰性で朝の会をやっているということがわかった。高学年あるよねー

三日目

「ちょっと変えたるか」と思った私は、日直が朝の会を始める前に待ったをかけました。

伝えたことは、

・二日間挨拶を聞いていて、非常に元気がないなと感じた。

・日直が読んでるこのシートにある「元気な声で」が意味を成していない。

・担任が帰ってくるまでこれを続ける気か?

・担任が帰ってきた時に一番喜ぶことは何か?それは君たちの成長です。

・何かひとつ、帰ってくるまでみんなで成長しなよ。

 

こんなとこです。

んで、具体的に何をするかでは、各案出ましたが結局は「朝の会の挨拶」多数で決まりました。

 

その後の朝の会では、約十数人が声を出し、しっかりと挨拶ができました。

しかしそれでも半分。

 

四日目

三日目とイーブンか、やや声が小さくなる。

 

五日目

声を出す子と出さない子がはっきりと分かれて来る。

この辺りから変わらなくなって来る。

 

六日目

五日目よりも声が小さくなって来る。

 

七日目

私が別件の用事があるため、別の人に任せたところ、気怠い感じであったそうな。

つまり私がいないため、緊張感もあまりなかったのでしょう。

 

八日目

昨日の挨拶について質問を投げかける。昨日はどうだったのかと。

すると、約一名が、「元気がなかった」とか「声が小さかった」などと話す。

 

そこで私は、「この挨拶の練習はあと三日間。そのあと帰って来る担任が、このままで喜ぶと思うのか」「今までの練習の意味は」「挨拶の後に行う健康観察で「元気です」と答えているからには元気なんじゃないのか。そうであるなら挨拶ができるはずなんじゃないか」と話しました。

 

そうすると彼らがなんとなく健康観察で「はい元気です」と惰性で答えていることに初めて気がついたようで、自ら逃げ場をなくしている事に気づいたようだった。

その後の挨拶では、始めた頃をやや上回る声で挨拶が返ってきた。

そして初めて、向かって左側のまとまりが特に大きな声が出ているということを伝え、

逆に右側あたりはあまり声が聞こえないことを伝えた。

 

九日目

左側は健在であり、右側もそれにやや追いつくくらいの大きさで挨拶を返すようになった。

 

十日目

この日は朝学習を何にしたらいいか特に決まってなかったので、簡単な論理的思考クイズを出してあげた(Amazonで見本掲載されてたのをパクった)

その後私は何も言わず、いつも通り朝の会が始まり、ほぼ、クラス全体で元気な声で挨拶ができるようになっていた。

 

その後、担任の先生は予定通り復帰し、私はいつも通り自分のルーティーンに戻りました。

 

 

とまあ、こんな話があったので、備忘録として書き残してみました。

 

「教育は海」とはよく言ったもので、どう漕ぎ進むかは自分次第です。

何が大切なのか、何を切ったら良いのかは本当に人それぞれ考えが違うのですが、

私の場合は言語化し、書き留めておかないと忘れてしまうのです。

 

なので、時々書いておこうと思います。

 

例えば自分を客観視すると、自分のスタイルを一言で言うなら「真剣さ」。

なので一番イラッとするのは授業に真剣に向き合わない者。ドスは避けられない。

また、許せないものは「わがまま」。

子どもというのはまあわがままの塊だったりするので、その余計なものをザクザク削ぎ落として「御前にその資格はない」ということを叩き込むことが大事かと思われます。

というのも、周りの協力や協調で成り立ってると思うんですよね。

そこで、「先生が勝手に決めるな。俺の好きにさせろ」を受け入れるとやることが進まないわけですね。

例えばそれが6年生に送るカードとかだったなら、大事なことは「もらった相手が喜ぶかどうか」が一番大事なのであって、「作り手の好き嫌い」なんざ無意味この上ないわけです。

 

しかし盲目的で視野が狭く、素直でない子どもというものは阿呆なので自分がどう思うかでしか物事を判断できないわけです。

その指導に入るとクラスの時間が止まり、説得と納得に時間が費やされるわけです。

つまり教師としては「言われたことを素直に受け入れて行う」子どもでないと、

そもそも集団学級が進んで行けないわけなのです。

ですがそういう子は普通にいたりします。

限られた時間の中でやることを進めようとすると非常に厄介な存在です。

が、そこをどう上手く転がすかも腕次第。

恐怖で服従させるか、上手くかわすか。。。

 

私は子どもの頃あんまり教師に楯突いたり反抗したり、自分の考えを言語化するということができなかったので、言葉でガンガン要求だの言いたいことだのを言える児童は私に無いものを持っているので、観察対象としてはいいサンプルです。

できればそのまま大人になるとどうなるのか、まで見てみたいものです。

 

実際のところは疲弊させる種でしかないので、もう四月の段階で徹底的に指導した方がいいと思うんですけどね。

 

例えば、教室での口笛。

 

私が低学年の給食に入った時、給食を食べ終わったのか、口笛を放送の音楽に合わせて吹いている子がいました。

 

ここで私が思うのは、「なぜ口笛を教室で吹いてはいけないのか」という指導の根拠がなかなか不明確であるなということ。

なので私の場合は「マナー」を軸に話したいと思います。

 

口笛というのは、笛、つまり楽器のひとつです。ということは鍵盤ハーモニカと同じ類のもの。給食中に鍵盤ハーモニカを、しかも静かに食べている時に吹くことはおかしいか?おかしくないか?で考えれば、当然おかしい。

鍵ハー吹かないなら口笛も吹かないこと、というわけです。

さらにもうひとつ、口笛というのは音が高いため、耳がキャッチしやすいわけです。

あなたの口笛を聞きたくなくても耳に強制的に入ってきます。

聞きたくなくても聞かされるということは嫌でしかないわけです。

また、教室が無音にならないように放送委員会で考えて、BGMがかかっていたりします。それは聞いていて心地の良い音楽を委員会で選び、ボリュームも決めているわけです。

最後に、「レストランでのマナー」を思い出してほしいということです。

レストランで、口笛や鍵盤ハーモニカを吹いていいと言われますか?

また、レストラン内を走り回って良いと言われますか?当然ダメですよね。

それは他の客や店員にも迷惑がかかるからです。

 

だから最後に、レストランでダメなマナーは、教室でも同じです。ということです。

 

おそらくは、子どもというのはこれくらい言わないと理解できなかったりします。

非常に残念ですがその辺は親の教育がそこまでのものであるため、残りの負担を教師がしなければならない、というわけです。地獄。

 

そんなこんなでふわっと書き留めては見ましたが、大事なことをここにもまた残していきたいので、次回はもっと端的に大事なことは何かを書きたいなーと思います。

 

クリリンのことかー!!!!