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カナダ留学で得た事と、最近思った事について書きます。

酒を飲まなくても楽しい

どうもこんばんは。

 

アッー最後の更新から一ヶ月以上経っていませんか、経っていますね。

毎日一時間の為に30分以上かけて学校に行くという非効率めな事をしているのですが、

ちょっと一旦一呼吸入れた為精神的に時間ができこの筆を取るに至ります。

 

と言っても内容はいつも通りただの日記です。

今日久々に高校以来の友人と居酒屋に行き、大体5時間くらい(主に私が)喋ったのですが、お酒は一滴も飲まなかったのです。代わりに食べる食べる。

 

んで、ここのところ将来の事を見据えて様々な事を考えては同じ所をぐるぐるとまわり続けているのですが、そんな時は過去に見聞きした誰かのセリフがパッと自分にあかりを照らします。

 

例えば、ネガティブ思考であったり自戒の念が強い人がいます。

しかし自分で自分を責めなくても、誰かが頼みもせず責めてくれます。

と言う事はその役割は誰かが担っているので、自分は自分を認めて行ったらよいということ。

割と日本人は多いのではないかと思うのですが、そんなに自分を責めなくてもいいと言うことを、自発的に思える人は中々いないのではないかと思います。

だからスピリチュアル系人生相談の本が店頭に並ぶわけですね。

これは年齢に関わらず若くても歳とっても付きまとう問題です。

 

話を戻すと、恐らく大概の人は結果で物事を判断します。

例えば30歳、フリーター、実家暮らしとなると、世の中のまとも(らしい)人達は心配するか怪訝な顔をするでしょう。

中には怒り出す人もいるかもしれません。

 

ですがそんな彼が何からしら一人立ちし、誰が聞いても安心、納得する成果・地位を得たとすると、それまで批判的、あるいは否定的だった立場の人は態度を改めるでしょう。

そんな時に思うのが、結果次第で人が受ける印象と言うものはコロコロと変わるものなので、途中経過に何を言われてもいちいち反応する事に大した意味はないという事なのです。

 

極端な話、中年頃まで特にパッとしない人生を歩んでいても、晩年フライドチキンを世に出して成功を収めた瞬間周囲が手のひらを返す、という様なものです。知らんけど

 

自分の人生に結果が出たわけではないのであれば、それはまだ途中経過という事です。

 

さて人生の結果って何でしょうね。生きてる間にやってくるのでしょうかね。

 

思うに、人は結果を知りたがります。

目の前にいる相手の、現状を結果と捉えます。

それはそれまでの人生の結果ではありますが、その人自身全体の結果ではないのです。

 

なので、その部分だけを見て、いつか手のひらを鮮やかに返すであろう批判者の批判に怯え、一喜一憂する事はないのです。

そして、十中八九無責任であり、「相手の為を思って」よりも「自分が正しい(と思っていること)を言ってスッキリしたい」だけなのではないかという事です。

そんな戯れにわざわざ参加するほどお人好しではないですよね。

 

ここに至る上で、前提として押さえておきたいものは、

今自分が迷っていようといなかろうと、自分の人生を前に進めているかという事。

何らかしらの仕事でもいいし、勉強でもいい。活動でもいい。何でもいいのです。

 

日本の世の中では、聞いて安心できる様な事を相手がしていないと、余計な心配をかけられる事があります。

さて相手はあなたの為に何が出来て何をしてくれているでしょうか。

具体的なアドバイス、人の紹介、融資、勇気付ける、などなど出来る事はまだまだあるはずです。

 

以前、私が勤めていた先で、「いつもウチの子を心配しています」という様な事を言ってる保護者がいました。

心配とは自然と湧き上がる気持ちなので、それは普通の事ですね。

 

ですが、「ただ心配をしている」これは何か効力を持つでしょうか。

念じに念じたら子どもの周りにバリヤーでも張られるのでしょうか。ナイスエスパー

 

答えは「無力」です。ただの心配は何もしていないのと同じです。

その子どもを見ている大人にプレッシャーを与え、その大人が少し気を使う程度が関の山でしょうか。しかしその保証はないのです。

であるならば、具体的な指示を出す、約束をする、周囲の理解を得る為に活動をするなど、できる事を探したほうが問題の改善、解決に近づきます。

 

何の話だっけ、、、

 

そうそう、要は自分の信じた道を進め、やるべきだと思った事はしっかりやろうという事です。単純ー

んで、その最中に投げつけられる聞く価値のない批判や否定は結果が出た後にコロッと変わるので、惑わされるなという事です。

規模は違えど、世の中で自分の人生を上手く進められている人は、他人の浴びせられる言葉に一喜一憂しているでしょうか。。。

むしろ自分で新たな道を作って何を言われようと突き進んでいませんか。

 

そして自分を否定・批判する役割は何かをしていると誰かが勝手にやってくれます。

なのでその役割からはもう降りて、目の前の事に一生懸命になったらいいのではないか、という話でした。

 

性格は中々変わらず、それは習慣ととても密接に結びついているので厄介なのですが、

自分は自分で自分を批判しているので、私に批判はしないでください、という体裁は不毛なので、切り替えた方が健全かなぁというわけです。

 

なんて事を含めて5時間程喋っていました。

 

最近特に大事なのは、短期目線、長期目線を使い分け、

特に長期的視点で物事を考えて行動する事がいかに大事で、自分に欠けているかという事です。

恐らく、賢い人で長期目線で考えられない人はいないんじゃないかと言うほどに。。

あ、人に何かを言われた時に、それが自分にとって有用であるかは出来るだけ瞬時に判断した方がいいです。

「相手の事とか関係なく俺は言いたい事を言いたいんだおじさん」だったりした場合はすぐにその場を離れましょう。

 

そんなわけで久しぶりにブログを書いたのでだいぶまとまりのない乱文になってしまいましたが、きっと伝わるはず。誰かには。

 

人の言う事はよく聞き、よく選べ。