どうもこんばんは。
休日前だからってヤキがまわったのか荒ぶる寸前。
はてさてたまにはトロントにいた頃の話でも。
この目的は「向こうで何を学んだのか」「何を掴んだのか」「何の意味があったのか」
その辺を明らかにしていくことです。
経験は言語化が9割。
さてただ文字を羅列してもつまらんので、ちょいちょい向こうの写真を入れながら、
回想する中で砂金を掬って行こうかと思います。
いや画像でっけーな。もう少し何とかならんのかね。
さてこの頃は2018年5月の初めでした。
羽田空港の国際直行便でピアソン空港へ14時間くらいかけて到着。
エージェントのバイトさんに連れられて来たもののロックナンバーが合わず入れずにいましたが、ばったりルームメイト(どう見ても欧州人)のブラジリアンが帰って来て、
とりあえず歓迎されました。
その後もう一人でっかいブラジリアンが帰って来て、自己紹介をし合ってとりあえずは終了。先に3人住んでいた中のうちの一人は、親が来てるとかで数日間どっか遊びに行ってました。
ブラジリアンはフレンドリーなのでここから毎日違うブラジル人が友達を連れて家にやってくる。とりあえず物盗られないか心配でしたが大丈夫でした。
・経験その1
ブラジリアンはフレンドリーなためどんどん増える。
私の通ったESLという語学学校はトロント最大の学校で、校舎が5箇所くらいに分かれており、かつ朝8:30スタートなので7:30には起きて朝少し食べて出発。
幸いなことにこのレジデンスがまぁまぁ駅に近く、TTCという電車に乗って5分くらいで学校の前の駅に着く。ぶっちゃけ30分前に出て歩いて行っても間に合う。
余談ですがTTCの定期券的なものは、持っているとバス・電車・ストリートカー全てどこまで行っても乗り放題。よく使うなら持ってた方が得。
post secondayという学割があるのですが、ちゃんと証明書を写真撮って買わないと見つかったら罰金だそうです。
このTTC交通網には時刻表がなく、山手線のように割とすぐ来ます。
来るときは「パララッッパッパッ....」とかいう音が鳴り、聞くと今では非常に思い出深い。来たばっかの時の記憶って印象的だからなかなか忘れないよね。
さて学生生活スタートですが、最初の街探検ツアーはなぜか開催されず、
とりあえず若干疲労残るものの試験を受けました。
日本にいた時はレベル17段階の6じゃね?って判定でしたが、
現地に行って入れられたクラスは3でした。まぁ、、英語できたらわざわざ行かないってことで。
しかしここで一個教訓があります。
文法・読解・単語・語彙力などはなんと!日本でも!勉強できるのです!
なので高い金払って日本でできる勉強を海外でやるのはもったいない!
なので、最低限の準備はしていかないと非常に時間をロスします。
・経験その2
目的にもよるけど、英検準2〜2級くらいの基礎英語力を取るまではいかない方が良い。
これは終盤で明らかになりますが、東大生でも不採用になるような某企業の会社員の方に会った時、彼は既にレベル13の試験を割とスイッと点取ってました。
日本の読み書きの学習はしっかりやれば向こうのテストでも通用します。
さて、レベル3のクラスに入れられた私は真っ先に疑問を持ちます。
「なんで英語で話すんだ...?」
このテリ語を訳すと、「英語がわからないのにその英語を英語で説明されてもわからんぞ...?」というものです。
しかしまあそこはレベル3。聞いてるとホワイトボードにも色々書いてくれて、
段々となんのことを説明しているかわかります。レベルとしては中二〜中三くらいかもしれない。
もちろん英語の成績が全くダメだった私でも、使い方はわからずとも一度通ったことがあることは覚えています。
そしてレベル3が終わるとなんかまたテストを受けて、ほぼ自動的に4のクラスへ。
しかしその後奇数レベルから偶数レベルに変わる時は必ずテストがあり、一定レベル点数を取ると上に行けます。
上がっていくと意外と日本人が私以外にも数名いたりします。20代〜40代だったな。
多いのはブラジル人・台湾人・ベトナム人・韓国人・トルコ人。
そしてたまにフランス人・コロンビア人・スイス人・メキシコ人・中国人。
さてレベル4に上がってからは腕のいい先生に当たりましたが、息つく間がなく、
結構しっかりと学習していたせいか、授業後非常に眠くなる。
学校は午前中8:30〜12:00で、昼休憩して午後12:30〜13:30とかそんなもんだったと思います。
帰って14時。
非常に眠くなるのです。
まぁずっと英語を聞いていて、英語のプリント問題を答えて、質問も英語とかでするので、頭はずっと使ってる状態なのです。言うなれば2倍は使っている。
さらに私の場合、生活費に自分で制限をかけていたので、
昼食がトースト二切れに蜂蜜をかけたものとかだったりして、非常にお腹が空く。
たまにルームメイトのクッキーをもらったりしてましたが、いやあそれでも空腹の昼間が続きました。痩せちゃうぜ。
だもんで、宿題とかもあったけど基本は学校終わって遊びにいくぜー!
みたいな気力がなく、帰って昼寝をせざるを得ませんでした。
これでも大学留学に比べたら超アマちゃん。旅行の域を出ていません。
家に帰ると、ある日から最後のブラジリアンがレジデンスに戻って来ていて、
料理を作ってくれました。
そう、彼はブラジル人シェフだったのです。
しかし材料はみんなでNo. frillsという黄色い看板のデカくて安いスーパーで2週間分くらい買いに行ってました。
早速私も同行し、4人で割って20カナダドル(CAD)くらいでした。
私の食費計算が、当初は月150CADで考えていたのでだいぶ安い。
しかも彼の作るチキングリルとかは結構美味しかったので、その辺感謝です。
この時のルームメイトは全員ブラジリアンで、
・シバテリ(日本)
・レオ(でかい。綺麗好きで規律的。時々Macで仕事してた)
・レオジーニョ(小さいレオだからジーニョがつく。シェフで中心的陽キャ)
・エリトン(アラフォーで欧州系。とんでもないダイエットをする)
以上の四名でした。
節約をしていることもあり、レオにジャパレスに早速誘われたことがありましたが、
断ってしまいました。
今思えば、あそこは遣っても何も問題なかったと今では思います。当初は数年計画だったので非常に節制心が強かったのです。
経験その3
誘いは貴重な経験の一つになるかもしれないので、そこは遣える余力を残そう。
思えばこの頃、一瞬気分がすぐれない時がありましたが、一日か二日くらいで元に戻りました。
多分、トロントに来て最初の一ヶ月は色々新鮮過ぎてそこに心身を合わせている最中だったと思うのですが、それも過ぎるとギャップが思い起こされて来るのではないでしょうか。
ただホームシックには一度もならなかったので、やっぱり新鮮さは求めているところでした。
さて、ともすると学校のクラスの日本人から、「午後プログラム」があることを知ります。
それは、午後の方が1時間くらい時間が減る代わりにキャッシュバックがあるというもの。
これに目をつけた私は友人と即乗り換えました。
しかし落とし穴が。
行ってみると、初日に担当の先生が欠席。代わりの先生が来たのですが特に何も教えず、はい、適当に教科書読んでやっててという始末。すぐさまPCに向かってしまう。
しかもその部屋の冷房が極寒レベルで全員冷凍されそうでした。このままじゃ冷凍マグロだぜ!
ヤバイと思ったのですぐさまクラスチェンジを申し込みました。
しかし、今度の先生は見た目アバンギャルドな感じの若い先生で、
かつ「私はよくクレイジーと呼ばれるわ」とかいうちょっと察しな人でした。
さらに、初教師だったのか、とりあえずホワイトボードに教科書の英文とかを書きまくる。
いや、それはどこが要点ですかね、、という突っ込みどころもさることながら、
午後プログラムの割とやる気のない生徒たちの態度に、態度で切れる始末。
いやまぁ、ぶっちゃけ両方あまり良くないよね、と。。。
やっぱりこっちもダメだ!ということで元の極寒クラスに戻ったら、中国系の本来の先生が戻って来ていて、割と楽々と授業が進みました。(極寒)
極め付けはその前のアバギャン先生、足癖が悪くて説明中に靴を私の椅子の横に乗せて喋ったんですよね。。。さすが北米。アジアンに対するヘイトが強いぜ。
そうそう、この米はですね、ロングなんちゃらライスというやつで、お湯に入れて茹でて作ります。その後ザルに上げて完成。
ホワイトライス(いわゆる日本米)は炊くのが難しく、それは難しいんだぜーと言われました。
その後私はロンググレインライスという茶色っぽいやつをよく茹でて食べるように。
チャーハンとかにはそっちの方があまり水を吸わないので合ってます。
マッシュポテトは向こうの偽マッシュポテト。
さてこの頃はもう7月。
ワールドカップがあったような気がします。
ブラジルはサッカーの本場なので、私はブラジル側に入れられました。
当初、H&Mで15CADくらいの緑のパーカーを着て、全身緑と灰色野郎と化していた私は、「緑はブラジルのカラーだ」ということで一緒にスポーツバーへ行きました。
そこで初めてUberというものに乗りました。
いわゆる個人タクシーみたいなやつですね。料金はみんなで折半です。
思ったことは、ブラジル人、金払いがいい。
おいらも一応世界第3位の経済老害大国出身なのですが、節制してるせいか彼らの金の使いっぷりが非常に目立ちました。電車より安いわけないよな....?
そして試合開始するとバーの雰囲気や熱狂はブラジル人が持っていきます。そのエネルギーがすごい!発電でもできればいいのにな!
その後注文して失敗した不味いタコスを食べた後、私は試験勉強だの個人的な自習だのがあり、帰っていきました。
近所のバーにも何度か行って、チキン食べたり酒飲んだりビリヤードしたりしましたね。日本のビリヤード経験が活きて、何度か勝ったりしました。
現地の老紳士もなぜか加わって来て、北米っぽいことしてんなぁと思いましたね。
そういえばよく家にくるブラジル人の中に、カナダ人社長の彼女ができてた人がいて、
「私が彼をプロデュースしてるの」とかいう話で就労ビザが降りていたようでした。
滞在ビザかな?どっちにしろアクロバットなビザ取得方法だなあと思いました。
・経験その4
南米といえど結構金は使う!私は日本の衰退の象徴だったのか、、、?
この頃の私はもうすっかり慣れており、あちこちに一人で出かけまくってました。
私の泊まったCASA Torontoは、レジデンスが実はもう一つあり、そっちの方が同じ家賃で綺麗でした。チキショウメ!
ドアの番号とかは教えてもらってたので、よくそっちへ行って夕飯を一緒に食べたり、
勝手に冷蔵庫あさってランチとか作ってました。うへへ悪いね。
奥にいるのはゲーム大好きっ子のチェチェロ。
レオジーニョは彼が野菜嫌いだと言うので、毎晩彼だけ別メニューを出してあげてた。優しい。
そういえばこの頃にはチャイナタウンやコリアンタウンでチャイナマーケットやコリアンマーケットを見つけてました。
これらのいいところは日本の調味料などが手に入るところ!
あとは日本の食材っぽいものも手に入るところ。
いつかおすすめのお店百選とかをメイン記事にして出すかもだけど、そういうところは長ネギとかもやしとか売ってて重宝します。
欧米系のスーパーにもたまに日本の袋ラーメンとかあるけど、ないところはないからね〜
ウォルマートとかはあるけど、そうでないとちょっと中華系・韓国系が噛んで無いところはないのよね。
アメリカのメーカーっぽいカップ麺食べたけど出汁が効いてなくて残念な感じでした。
やっぱりチキンナゲットとか、家で作る用のハンバーガーのパテとかそういう冷凍食品の方がまだ充実しています。
アイスも大雑把な味のものが多かった。(しかしブラジル人のアイスはちょくちょく食べさせてもらっていた)
さて、学校のレベルもいつの間にやら7とか8位まで来る勢いに乗っており、
クラスの先生も厳しめの先生が入って来たりしてました。
ここでたまたまKahoot!というクイズアプリを知り、クラス全員で対抗戦をしました。
大体、その日に習った英文法に関する問題が、各人のスマホでクイズミリオネアっぽく答えていくやつです。
ランキングが最後出るので、私はかなり本気で取り組みました。
特に、同じクラスに日本人がいると相当な敵対心を持つことがあり、かつそいつが頭のいいトルコ人に教えてもらいながら参戦しているのを見るとストレスマッハでスーパーサイヤ人になりそうでした。
しかもインスタ交換した時見たら、結構いい大学出たばっかの経営者。女囲んでました。
結果は何度か一位を取られましたが、その後最低一回は一位を取り、FUCKING JAP HAHAHA!!
あの時の負けず嫌いは一体何なのか、元々そういう性格なのかはよくわからないです。
経験その5
ほぼ同レベルの勝負には負けず嫌いが発動する。
はてさてそんなこんなでルームメイトのブラジル人が一人、また一人と帰国していき、
代わりに新たなブラジル人が入ってくるというブラジリアン・プランテーションシステムの中で一度だけブラジル人たちに日本料理のうどんを作ってあげたことがあります。
とりあえずきつねうどんでいっか〜ということで、ほんだし的なものや麺つゆ的なものを揃え、6人くらいに振舞いました。
結果、チェチェロにはちょっと難易度高かったようですが、他のメンバーには好評で、めっちゃ褒められました。
日本のメーカーはすごいよねぇ。
後に、引越しのアルバイトをすることになり、その雇い主の日本人女性がほんだし+麺つゆでうどんの出汁は格段に旨くなるということを知らず、麺つゆだけでうどんを作っていたので、その方法を教えました。
意外と知られていないのだな、、というわけで広めようと思いYouTube動画にもした、
という流れがあります。
はてさてそん感じで三ヶ月が経とうとしているわけですが、
ここでレジデンスのあまりの家賃の高さを一回再検討し、引っ越すことにしました。
そして偶然台湾人の友達の日本人が、「部屋が一つ空くからくれば?」ということで引越し先がすんなりすぐ決まりました。
自分で探したことも一度ありましたが、担当した人が実は現地で有名な違法滞在業者的な人で、普通の家にキャパオーバーで住まわせているような人でした。
今でもあの家には行かなくて良かったと思います。(家の中が微妙に作りかけのようだった)
この頃はまだカナダのカレッジに入学するぞ!的な気持ちがあり、家に帰っても数時間復習や自習をすることもありましたが、後にそれは墜えます。
そうそう、なぜか尿道炎になったような気がして一回病院に行ったこともありました。
病院は困ったなーと思いましたが、何と日本人看護師のいる病院があり、予約して行ってみました。
するとドクターはインド系の女性ドクター。
色々問診のみした後、併設されてる薬局まで看護師さんがついて来てくれました。
しかし尿検査などは別の専門ラボみたいなところに行かねばならず、異常があった時飲み教えるよーというものでした。
カナダに限らず、アメリカとかもレントゲンや採血など、診断によって受けられる病院施設が分かれていたりします。
総合病院とかにいけばまた違うのでしょうけど、大体街にあるクリニックはそれぞれ専門で分かれています。
そして、私は一応保険に入っていたので、150CADくらいかかった気がしますが、
後から保険請求の書類をバンクーバーの保険会社に書いて送り、後日小切手が届くというものでした。
この保険請求の時に、個別ナンバーを保険会社に電話して聞かなければならないのですが、電話がなかなか繋がらない。
繋がったとしても上手くやり取りができないこともありましたが、新しいルームメイトのブラジル人医大生が助けてくれたりして乗り越えられたことがあります。
やっぱ持つべきものは友達だね!
そして程なくして住んでいた割と高級住宅街のSt.Clairを後にし、インディアンタウンのKennedyへと引っ越します。
そのころは午後プログラムだったので、夜中に起きてることがあり、何もすることがなくフラフラとレジデンスのロビーに降りて行ったりしてたこともあります。
このレジデンスは留学生だけでなく、普通に賃貸マンションとして生活している人もいます。
時々夫婦喧嘩的なものが隣から聞こえて来て、やべ〜ということもありました。
しかもこのロビー、2階の客室の真横に窓があっていつでも見れるという。
住人にとってはうるさくないのか、、、
また、CasaTorontoに日本人が来たのは初めてらしく、紹介PVを撮るから参加してくれ!とか社長的な人に言われ、一本ビデオを他に紛れて撮りましたが、今でも公開されてません。
しかし、家賃は夏場で850CAD。冬は1000CADになる高めの家。
しかも年々家賃は上がっていく様子でした。しかしさっき見てみたら、どうも最安値で1100CADくらいに抑えられている様子。きっとコロナを経て家賃下げたのかもしれない。
なんと向こうの薬って個別包装じゃないんですよね。
一気にバラッと雑に入れてあるw
この頃思ったのは、ネットで家とか探すのは割と当たり外れがあるので、日本人の友達などを作って口コミや紹介で決めるのが吉ということ。
経験その6
「日本人とは一切つるまない!」みたいなプライドは逆に損するかもしれない。
そんなこんなで部屋を後にし、約一年分一括で払った家賃のキャッシュバックを受け取り、引っ越して行きました。
余談ですが、エリトンのとんでもないダイエットとは、
ある夕方、エリトンがサラダを食べていました。
私が「どうして今サラダ食べてるの?」と聞くと、
「これが俺のダイエットだ」と答えました。
なるほど。しかし彼は夕食の時毎晩コーラを飲んでいました。そら太るよ!
見れば、ブラジル人はほぼ全員夕飯時にコーラを飲む!うおお
おいらはコーラ禁を15年ほど続けてたので驚愕も驚愕。オイオイオイ死ぬわアイツ
あとは、夏とはいえやや冷え込む日でも、彼らはエアコンの温度を15度とかに設定して寝ます。死ぬよ!
しかし彼らは暑いようで、その辺が難しいな〜と思うことはありました。
まだまだこの生活は続くので、次回の項目を軽くここにメモしておきましょう。
・インディアンタウンはなかなか良い
・今度は一軒家の半地下に居候
・大家とバトル
・屋根崩壊
・ハッキングに遭う
・発砲事件と日本人死亡
・ナイアガラの滝へ
・飛び級して日本人の先生に当たる
・友達は韓国人経営者
またね!またね!