SHiVATELi.com

カナダ留学で得た事と、最近思った事について書きます。

生きこなしている

どうもこんばんは。

 

ブログなんて書いてる暇はないのですがふと気まぐれでメモ程度にやっつけておきます。

 

仕事が始まって少し経ち、中でも色々変わったりして今に至ります。

ただまあ引きずられながら働いているというよりは、「あれをこうしよう」とか「ここをこうしよう」とか自分で作っているところが主なので、どちらかというと労働というよりは仕事というつもりであります。

さらに言うと、残業とかも自分のイメージに早く近づけるために時間を割いているので、どちらかと言うと趣味の領域に入ってきています。

そんなわけで今趣味で働いているわけですが、職場の人に言うことでもないのでふらふら〜っとしています。

 

はてさて実は大学のオンデマンド授業が大詰めを迎えているわけですが、こんな状況なので全然手に付かないよねーって感じです。

やれるのは家帰ってからの2時間くらいなんですがやったりやらなかったり。

それならさっさと寝て早く仕事をやっつけてしまいたい、と言う感じ。

以前は結構やる気が削がれていたので、朝活とかあり得なかったのですが今はかなり早めに行っている。この差は何だ。。

 

それはやはりビジョンがあって、早くそこまでやることを終えてしまいたいという事情があるかないかですね。あと単純に時間がないというね。

 

やっぱりゼロから何かを作るということは楽しい。

あと必要以上に責任を押し付けられていないというのも健全。

 

以前どこかのニット帽被った人が、「責任とは何か」には哲学者でも簡単には答えられないのによくみんな責任とれとか言えるよなみたいなこと言ってて、気になっている。

 

「責任を取れている状態」というのは主観によるものが大きいので、それは分が悪い勝負だなーと思うわけです。誠意見せろ!みたいな。

 

なので私は責任取りますとか軽々しく言えないんですよねー

場合によっては火傷を負う気がして。

 

あとは最近あったことといえばバイデン氏が勝利。

 

あ、根尖性歯周炎と診断されましたそしてそれが原因で38℃まで熱上がりました。

久々に味わいましたよ寒気と暑さを。。あれはやばい。

 

銀歯の根治したとこだったので、この際だからセラミックにしちゃいたいなーと思うこの頃です。

 

仕事の評価なんてあてにしないで好きにやるよろし。

何もできないわ

どうもこんにちは。

 

前回の記事が五月末ということで、自粛まっしぐらなムードの中でそのまま藻屑の様にゆらゆらと生きていました。ゴイスー

 

はてさて軽ーくこれまでの約三ヶ月を振り返ろうかと思います。

 

・6月

確か緊急事態宣言が解除されて、WEBスクールに行き出した一ヶ月間。

そして大学の課題とかメディア授業とかも大詰めになってきていて、しかも試験もぶつかって六月末はちょっとしんどい日々だったかもしれないけど、でも実際はいい感じに手を抜いてなんとか苦しまずに終えた気がする。

結構友達とも頻繁にやり取りして切り抜けた感じ。スマホを見返したらすた丼解禁していた。

 

・7月

蒙古タンメン中本を食べた様だった。多分北極ラーメンを食べたのもこの頃だな。

撮影が入って中央大学に行き、メタクソ暑い中撮影をしました。

中央大に行くのは本当に久々で、10年以上は経っています。

実は初めてのキャンパス見学の時、中央大学には行きたくないなーと思ったのが第一印象です(そもそも行けないが)。

なぜならちょっと古いビルという感じで、当時青山学院とか立教とかああいう凝ったデザインのキャンパスビルに憧れがあり、ただのビルでしかも古い大学に何の魅力も感じなかったんですよね。。いや中央大学は素晴らしい大学ですよ!

勉強する気が全くなく成績も悪かった私はどうせ行くならシャレ乙なキャンパスに行きたいーという事しか頭になかったのです。

んでそれ以外に七月何があったかというと、相変わらずスクールには行き、細々とコードを書き、前期のメディア授業やスクーリングのテストが終わってヤッターという感じでしたね。何だ真面目に色々やってんじゃん〜

 

・8月(まだ終わってないけど)

撮影で有名心霊スポットに行ってハッスルしました。

これは正直、最初は大いなる自然の力を感じましたよ!タイムスリップしたかの様な感覚を覚えました。

よく国語の教科書の童話とかで、「真っ暗闇の雑木林を一目散に駆け抜けた」みたいなシーンがあるかと思いますが、あれは相当な勇気が要りますよ。。

周りが全く見えず、高い雑木林の間から少しだけ見える夜空と比較して知る闇の世界は、いかに闇が大きく高いかということをこれでもかと感じさせられます。

ちなみに同行者はガチで怖がってて私の企画の5分の1も進まず撤退することとなりました。

あれちゃんと企画通り全部こなしてればもっと再生数行ったと思うよ!!

 

さて最近はですね、まずTOEICが抽選形式になりまして、10月の試験に応募したら何と落ちました。おいおいー

ぶっちゃけTOEICは試験日が決まらないと全くやる気出ません。

でもそれは仕方ないのでようやく金のフレーズという単語帳を買いました。

どうやら単語力が無いとスコアアップなんて夢みたいなので、単語覚えます。。

 

あとは落としたレポートの再提出なのですが、何と、二週間、手つかず。。

いや、言い訳をさせてくれ。少なくとも先週は三日間くらい体調不良だったんだ。

多分お腹冷やしたんだ。

おかげで竜泉寺の湯というでかいスーパー銭湯に行っても6時間くらいしかいられなかった。もったいない。。

漫画読み放題だったけど漫画を落ち着いて読むことも制限されたので、なんだかなーという感じでした。

話はそれますが、どうも漫画を読み続ける体力気力が衰えた気がする。

5冊くらい一気に読んだら疲れてしまう様な。

これは動画とかに慣れすぎてしまったせいかもしれないね。よく無いなぁ。

 

前々から本を読む習慣が無いので、これが続くと色々損するんじゃないかなと。

読めばいいというものではないけど、勉強の基本は読書だからね。

 

そう、ただここ三ヶ月ほど続けてることがあります。

それは筋トレ。

 

五月末にぺんぎん村のとある部屋に、「トレーニング報告スレ」というのを作りました。

そしてスレ主なので割と自分の報告はよくする様にしていて、結構更新頻度も高い方です。

 

これは何がいいかというと、トレーニングをやってもやらなくても報告なので、

やっていないとそれを報告しなければならない、というマイルールがあるのです。

なのでサボり続けているとそれを書き込まなければならないのでちょっと引目を感じる、、ということで割と続けられているという次第です。

この話は今度また別に記事を作って書こうかなと。。

 

ちなみに成果ですが、

五月末は懸垂(自衛隊式)で一回目が6回、二回目が2回、三回目が1回という体たらくでしたが、

現在は一回目が12回、二回目が8回、三回目が6回という感じで、倍以上できる様になりました。

体重が45kgくらいだった頃も8回くらいはできてたのですが、現在私は54kgくらいあります。

なので、過去最も筋力がある状態になっています。

 

そして、先々週あたりに一週間限定のダイエットをしてみました。

 

内容は、

・白米・うどん・ラーメンをやめて蕎麦か玄米にすること。

・週三回スクワットと30分のジョギングをすること。

 

この二つです。結果は、多少、、体脂肪率が下がった様でした。

一回だけ体脂肪率が15%台まで落ちたのですがまたすぐ18%まで戻りました。

正直ダイエットはツライっす。。

筋トレと比べても辛い。一緒にやる仲間が近所にいたらまだ違うのかもしれませんが、

孤独との戦いは付き物ですよね。これもまた別記事にしようかと思います。

 

 

そんな感じで夏が終わろうとしていますが、

 

とにかく暑い!!バチクソ暑い日々!そら二週間何もしなくても仕方ないね!

 

イランで大爆発あったり色々と世界も大変みたいですが、日本のこの暑さもちょっと考えものですよ。。この暑さの中で働くとか勘弁しておくれ。

 

もっと不便になって構わないからそんなに働かなくていい世の中になってもらいたいものです。

 

んで、ならないのであれば勝手に労働からフェードアウトしていきます。

 

ポケモンGOだけが唯一の救いというか何というかで、生きながらえております。

 

とりあえず今日はおしまい。

完全に働かないということの難しさ

どうもこんばんは。

 

ダイエットだ!オウオウと息巻いたものの夜中の二時にラーメン餃子半ライスを食べてしまいました。しかしライスだけはよく見ると最近の私がお茶碗一杯分のご飯の量を減らしていることから、それと半ライスの量がほぼ同量でありこれは全ライスであるという事実を見てみぬフリをしました。

 

 

はてさて前回の記事からだいぶ間が空きました。

きっと心清き読者の方々は忙しかったんだろうなぁとしみじみ思われるかもしれませんがそういうわけでもないような、、優先順位の問題ですね。

 

さてこんな時間なのですが最近流行りのニートについて一考してみたいと思います。

理由は自分は世の中に居場所のない者に一度なって見たかったと言うのがもともと根元にあったからです。

 

ニートの定義は厚労省と内閣府で若干違うとかいうことですが、ざっくり言うと

勤労・就学・家事の全てをしていない15歳以上35歳未満の人をさして言います。

今では既婚者でも家事をしていないとニートなんですね〜

学校に学籍はあっても通学をしていないとニートですが、通信制は通学をしていないけどもそこのところはどう言う見解なんだろう。

 

そもそもなんですが私は大学卒業前後くらいの頃は、空白期間ができてしまうということを非常に恐れていたんですね。

理由は少しでも空白期間があると、就職・転職に不利!というそんな刷り込みが就活中とかにできていたからです。無というダメージを負という!

 

んで実際働いてみるとこりゃ参ったという状況になり、なんとか抜け出す道を考え退職をします。そして退職と同時にとある学校へ入り資格を取りました。

そんでもって資格取得と同時に再就職し、やんややんやと働くわけですが、その頃から某西村氏の「浪人時代は何の身分もないという経験をして色々わかった」というのに何となく興味を持ったわけです。

 

というのも多くの人たちは、どこにも属さない・社会に参加していないという状態を敬遠するでしょう。

おそらくは「わ〜どこにも居場所がない〜こわい〜居場所を作らなきゃ〜」となるのではないかと。

もしそうなってしまうと、いわゆる見えないカーストの最下層に落ちてしまったかのような感覚になるのではないでしょうか。これがなかなか興味深かった。

 

そしてその後短期間ですがその「何処にも属さない」経験をしてみたわけですが、

一旦そこまで落ちてみると何となく恐れていたこととか、何かが身に降りかかるとかいった事は案外なかったりします。

これはその人がその時置かれている状況に左右されますが、、、

後に響いたりとかね。

 

私自身は今まで必ずどこかに属し、電車の乗り換えをジャストタイミングで乗り換えるような人生であったのですが、それは次から次へとやる事が決まり、狭い意味で休まる気がしなかったんですね。

 

なので、トロントに行って帰ってきてwebスクールへ入るまでの約四ヶ月の間は、

今まで決して経験しなくて済むのであればしない方がよい空白期間(無職というよりニート)になったのではないかという事を思い出したのです。

 

しかし、世間的に見ればそうかもしれませんが、実際その間私はほぼ毎日初めて触るHTML&CSS(最近鬼サボり中やらなきゃ)やTOEICの練習をやっては止めやっては止めを繰り返していたので、案外頭働かせていたんですよね。

 

さらに諸事情で家の料理は私が作った方がどう考えても美味しいので炊事とかやってたので家事もやってたことになります。

 

するとニートの定義に当てはまる就学はクリアしても家事は引っかかってしまうんですよね....

そんなわけでああついに自分も全く何もしないという期間が訪れたのだと思いきや癖なのか恐怖心なのか何もしないわけにはいかない、というオートブレインワークが働き、ニートは達成し得ませんでしたよと、、言う事です。

 

つまり何が言いたいかというと、

世の中の何処にも属さない、居場所のない人にはなれた。

しかし家で勉強したり炊事をしたりしてたのでニートにはなれなかった。

 

というわけなのです。ニートのハードルは高い。

 

ちなみに何処にも属さない状況というのは経験してみたところ別に特に何も新しい発見はなかったです。次またそうなっても別に恐くないという事くらい。

もし職質されたりしたら、警察官は無職に厳しいらしいのでどんな職質を受けるか楽しみだったんですけどね。。(仮定法過去完了)

 

んで、仮にニートの人がいたとしても、洗濯物取り込んだりトイレ掃除とかすればそれは家事手伝いになるじゃないですか。するとニートの定義から外れるんですよね。

「程度」が示されてればわかるんですがないので。

 

大体世の中では働いてなくて学校に行ってないとニート扱いなんですが、家事は割とハードルが低いので外出れないけどニートは嫌だという人は風呂掃除とかから始めてみたらいいんじゃないかなーと。

中には「個人的な遊び以外一切したくない!」という強いニートもいるかもですが。

 

んで、良い悪いは別として、家事を手伝っていればニートではない、という定義もどうなのかなぁ、、と思ったりするのです。

家事って大家族の家事手伝いはそらもう労働だし介護もあるしで大変ですが、

逆に掃除だけしておけばニートの定義から外れるから俺ニートじゃねーじゃんオッケーも成り立ってしまうので、いやあそれもどうなのかなぁと、、、

 

人が家庭や社会でどう生きるかなんてそれぞれに任せる一方で、

行政が再スタートが切れるよう整備した取り組みは何かしらアップデートし続けたらいいとは思うのです。

ただ、ニートはいけない!ニートをなんとかしなきゃオラァ!というのはいやー放っておけばいいんじゃないかと思うのです。

なんかこう、精神疾患とかで病院行かなきゃとかいうわけでもなく健康で関係も良好ならねぇ。

というのも無理やり引っ張り出しても人事とか困るっていうの。

 

そんなわけで外の社会の何処にも属さないというのは一応経験して不安があるような気もしたけど案外なんでもなかったし割と自由やれてたよというのと、

ニートを脱する方法は簡単な一方で、ニートというものを問題視してなんとかしたいなら定義はもう少し絞った方がいいんじゃないかなという見解でした。

 

一瞬暇になったので何も考えずにリハビリがてら書いたという言い訳だけ残しておきます。

 

 

 

 

雑記

最近学校の課題とかやりたくないなーでもやらなきゃーという時は、

ベジータがスーパーサイヤ人に目覚めた時の事を思い出してスーパーシバテリ(スパテリ)になったつもりでパワーを再燃して取り組んでいます。

これが案外効きます。

 

酒を飲まなくても楽しい

どうもこんばんは。

 

アッー最後の更新から一ヶ月以上経っていませんか、経っていますね。

毎日一時間の為に30分以上かけて学校に行くという非効率めな事をしているのですが、

ちょっと一旦一呼吸入れた為精神的に時間ができこの筆を取るに至ります。

 

と言っても内容はいつも通りただの日記です。

今日久々に高校以来の友人と居酒屋に行き、大体5時間くらい(主に私が)喋ったのですが、お酒は一滴も飲まなかったのです。代わりに食べる食べる。

 

んで、ここのところ将来の事を見据えて様々な事を考えては同じ所をぐるぐるとまわり続けているのですが、そんな時は過去に見聞きした誰かのセリフがパッと自分にあかりを照らします。

 

例えば、ネガティブ思考であったり自戒の念が強い人がいます。

しかし自分で自分を責めなくても、誰かが頼みもせず責めてくれます。

と言う事はその役割は誰かが担っているので、自分は自分を認めて行ったらよいということ。

割と日本人は多いのではないかと思うのですが、そんなに自分を責めなくてもいいと言うことを、自発的に思える人は中々いないのではないかと思います。

だからスピリチュアル系人生相談の本が店頭に並ぶわけですね。

これは年齢に関わらず若くても歳とっても付きまとう問題です。

 

話を戻すと、恐らく大概の人は結果で物事を判断します。

例えば30歳、フリーター、実家暮らしとなると、世の中のまとも(らしい)人達は心配するか怪訝な顔をするでしょう。

中には怒り出す人もいるかもしれません。

 

ですがそんな彼が何からしら一人立ちし、誰が聞いても安心、納得する成果・地位を得たとすると、それまで批判的、あるいは否定的だった立場の人は態度を改めるでしょう。

そんな時に思うのが、結果次第で人が受ける印象と言うものはコロコロと変わるものなので、途中経過に何を言われてもいちいち反応する事に大した意味はないという事なのです。

 

極端な話、中年頃まで特にパッとしない人生を歩んでいても、晩年フライドチキンを世に出して成功を収めた瞬間周囲が手のひらを返す、という様なものです。知らんけど

 

自分の人生に結果が出たわけではないのであれば、それはまだ途中経過という事です。

 

さて人生の結果って何でしょうね。生きてる間にやってくるのでしょうかね。

 

思うに、人は結果を知りたがります。

目の前にいる相手の、現状を結果と捉えます。

それはそれまでの人生の結果ではありますが、その人自身全体の結果ではないのです。

 

なので、その部分だけを見て、いつか手のひらを鮮やかに返すであろう批判者の批判に怯え、一喜一憂する事はないのです。

そして、十中八九無責任であり、「相手の為を思って」よりも「自分が正しい(と思っていること)を言ってスッキリしたい」だけなのではないかという事です。

そんな戯れにわざわざ参加するほどお人好しではないですよね。

 

ここに至る上で、前提として押さえておきたいものは、

今自分が迷っていようといなかろうと、自分の人生を前に進めているかという事。

何らかしらの仕事でもいいし、勉強でもいい。活動でもいい。何でもいいのです。

 

日本の世の中では、聞いて安心できる様な事を相手がしていないと、余計な心配をかけられる事があります。

さて相手はあなたの為に何が出来て何をしてくれているでしょうか。

具体的なアドバイス、人の紹介、融資、勇気付ける、などなど出来る事はまだまだあるはずです。

 

以前、私が勤めていた先で、「いつもウチの子を心配しています」という様な事を言ってる保護者がいました。

心配とは自然と湧き上がる気持ちなので、それは普通の事ですね。

 

ですが、「ただ心配をしている」これは何か効力を持つでしょうか。

念じに念じたら子どもの周りにバリヤーでも張られるのでしょうか。ナイスエスパー

 

答えは「無力」です。ただの心配は何もしていないのと同じです。

その子どもを見ている大人にプレッシャーを与え、その大人が少し気を使う程度が関の山でしょうか。しかしその保証はないのです。

であるならば、具体的な指示を出す、約束をする、周囲の理解を得る為に活動をするなど、できる事を探したほうが問題の改善、解決に近づきます。

 

何の話だっけ、、、

 

そうそう、要は自分の信じた道を進め、やるべきだと思った事はしっかりやろうという事です。単純ー

んで、その最中に投げつけられる聞く価値のない批判や否定は結果が出た後にコロッと変わるので、惑わされるなという事です。

規模は違えど、世の中で自分の人生を上手く進められている人は、他人の浴びせられる言葉に一喜一憂しているでしょうか。。。

むしろ自分で新たな道を作って何を言われようと突き進んでいませんか。

 

そして自分を否定・批判する役割は何かをしていると誰かが勝手にやってくれます。

なのでその役割からはもう降りて、目の前の事に一生懸命になったらいいのではないか、という話でした。

 

性格は中々変わらず、それは習慣ととても密接に結びついているので厄介なのですが、

自分は自分で自分を批判しているので、私に批判はしないでください、という体裁は不毛なので、切り替えた方が健全かなぁというわけです。

 

なんて事を含めて5時間程喋っていました。

 

最近特に大事なのは、短期目線、長期目線を使い分け、

特に長期的視点で物事を考えて行動する事がいかに大事で、自分に欠けているかという事です。

恐らく、賢い人で長期目線で考えられない人はいないんじゃないかと言うほどに。。

あ、人に何かを言われた時に、それが自分にとって有用であるかは出来るだけ瞬時に判断した方がいいです。

「相手の事とか関係なく俺は言いたい事を言いたいんだおじさん」だったりした場合はすぐにその場を離れましょう。

 

そんなわけで久しぶりにブログを書いたのでだいぶまとまりのない乱文になってしまいましたが、きっと伝わるはず。誰かには。

 

人の言う事はよく聞き、よく選べ。

 

Melancholy

どうもこんばんは。

百円ショップでボトルを買おうとしたら現金がなく百円も払えませんでした。

テクノロジー...

 

はてさて明日から学校です。復習しなきゃ。というか結構難しい所に入っていて、

ぶっちゃけついていけるか心配。心配するくらいなら復習しろってね。

そのせいだけではないのですが、なんだか気分が憂鬱なのです。

今日も親戚の集まりに行かねばならず行きましたが、いやー、、、帰りたかったです。

出てくるお寿司とか、まぁそこそこ美味しいんですけど、そんなに嬉しくもない。

というか今日は家から出たくなかったのです。

 

そんなわけ憂鬱な時にどうしたらいいのかを書きながら考えていきたいと思います。

 

まず二パターンあります。

1、原因があって憂鬱

2、原因がわからないけど憂鬱

 

1はその原因を解決するか、忘れるか諦めるか色々手立てはありますね。

問題は2の場合。なんかよくわからないけど、モヤモヤとする。。

 

んで、今回は1と思いきや、でも頭の中で整理はついているからもう解決したと思うので2なんじゃないかなーと。

もしくは、頭で割り切っても感情面で割り切れていないのかも。うわー感情めんどい。

 

そうなってくると何か別の事に没頭するか、時が過ぎるのを待つかが有効手段になって来ますね。。

私の親友に過去相談した所、「ふて寝」がいいという事でしたので昼寝もしたんですけどね。

会社員とかやってた時はもうそら原因はどう考えても会社だったので1だったのですが仕事は行かねばならないので解決はほぼ無理でした。

原因が分かってりゃいいってものでもない。。

 

とりあえず実行してみたのは、熱い風呂に入る、ぶどうジュースを飲む、西村ひろゆかないさんの配信にお邪魔する、です。

で、配信見た時に少し話して少し元気が出たような気がしました。

 

という事は今は誰かと会話がしたい波が来ているのかもしれません。

本当は今日家の人間がいない時間帯があったので配信しようとしたのですがこんなテンションでは流石に申し訳ないなーと思いやめました。

 

んで、ふとTwitterを見てると(中毒なんで)、「生きるのが辛い時は自分に期待するのをやめてみよう」なんて感じの事がほいっと上がって来て、ムムム!と来ました。

ひょっとしてちょっと自分に期待していて、でも行動や実現が伴わないからよくないのかなーと。期待しないというのは、今日も生きてて偉いねとかそんなレベルです。

まぁ、偉いと自分で思ってみても、そんなに自己肯定感が充足されるわけでもないのですが、多分それは元々の自尊感情が低い(使い方合ってるか分からない)ので、あまり効果がないのかもしれません。

 

根底にあるのは、誰かと自分を比べて生きて来たからなんじゃないかなーと。

しっかり努力して結果を出せる人はそれをバネにして雑草のように上がって行けばいいと思うのですが、如何せん私は毎日コツコツと努力する、みたいな事がどうもなかなか、全然できません。

んで、そういう人って他人と自分を比較すると結構キツい現実を見ると思うのですね。

学歴だったり入った会社だったり私生活だったりと。比べるな危険!

 

んでそういう人は、あまりインスタとかやらないで、周囲の人がどれだけ成功しているかとか充実してるかとかをSNSで見ないようにして、自分の好きなことだけやる、というのがいいんじゃないかとふと思いました。

当方SNS中毒、スマホ中毒なのでその辺は、、うーむ。。

Twitterって次々とめまぐるしく新しい情報が来るから、何か面白い情報来てないか?!
最新の情報をキャッチし損ねてないか?!と見てしまうんですよね。

でもそれらをエラーしたところで、実生活に被害なんてないよなぁと。。

多分、自分がどんな情報に価値があるのか、重きを置いているのか、という基準みたいなものがないので、どれもとりあえずさらっておきたいという思惑があるのではないかと思う。カモじゃんー

 

ちなみにインスタは実は、そんなに中毒ってほどでもないです。

友達の写真を見てほえ〜とか思う程度なので。文字情報だと有益なんじゃないかと思って読んじゃうんですよね。

ひょっとしたらTwitterやめてインスタだけにした方がいいのかも。

インスタにもちろんリア充写真は上がってくるけど、あまりに遠いので実感が持たされないというか。。

 

そうそう、憂鬱をどうしたらいいかという話でしたね。うーむ。

結論としては、自分の気持ちを人に話してみる、または他人は他人で自分は自分ということを思い出して、そこを徹底的に信じてみる、という、そんなところでしょうか。

 

人間て本当に面倒で、気持ちの切り替えが反射でできたらいいのですが、そうはいかないですよね。最後にはもう切り替えるしかないんですけどね。

それが作為的にできればいいんですけどね。

多分そういうのは、メンタルトレーニングとかを受けるとできるようになるのでしょう。

そうだ、メントレを積んだ事がある人に会ってみたい。変われたのか。

 

今日は歩いたり太陽の光を浴びたりしてもダメだったので、それも勉強になりました。

 

ちなみに人と話すってのは誰でもいいってわけでもないです。

自分と合う人でないとね。

 

会社員時代は本当にどうしようもなかったのですが、久々にその頃の負の感覚を思い出して、よくない形で懐かしみました。

多分この辺は核心ですが、私は人並みにはやってけないタイプの人だと思うのですよね。期間限定なら、普通の人達と肩を並べてやれるのですが、まぁ無理がくるよね、って話です。

割と子供の頃から苦労を重ねて育ったわけでもないので(新聞配達で生計を立てるみたいな)、逞しく生き抜くみたいな力が付かなかったのかもしれません。

でもまぁ、それが悪いとも特に思ってないんですけどね、、、

 

なので、今は自分がどう生きたら自分にとってより良いのかを色々試してる昨今です。

 

 

仕事のハードルを上げ過ぎなんじゃない

どうもこんばんは。

 

余計な心配をかけさせてしまうくらいには人望のある私です。タハハ

 

はてさて2020年、令和二年子年ですか。ははあ。

今年はちょっと去年の調査とかなんやらを踏まえて行動せざるを得ない年なので、

たぶんそれなりに今までにない経験をする一年になると思います。

 

そんな殊勝な思いは勝手なのですが私は元旦からバイトです。二日も。

ただそこに偏見はなく、嫌だなーとも思ってないのは正直な所。

今日は令和一発目という事で、最近の考えを書きながらまとめていく形でキーボードをカッタカッタ打ちまくってみようと思います。

 

 

 

 

元旦からバイトかよ

そうなんです。まずここで「偉いねー」とか「プギャー」とか感じ方はそれぞれあると思いますが、この話を受けたのには理由があります。

まずは私の中に三が日は仕事も勉強も休み、という固定観念が無くなっていた事に始まります。

というのも、去年の正月はトロントにいたのですが、カナダに正月はないので、一日は休みでも二日から通常通りなのですね。通勤、通学しています。

私も強制的に慣習をぶった切られたので、二日から学校に行ってました。あれれー

てな訳でお正月の三が日は休むもの、みたいな概念はなくなり、ほいほいと依頼があればバイトに行ってしまうのでした。

あとはこの歳でバイトに受かりづらくなったのでラッキー☆スターを逃さない!という私のハングリー精神です。タイの選手たちごめんなさい。

 

 

 

 

価値観が揺らぎ始めている?

ご存知かとは思いますが私は営業的な人から公務員的な人へと移り変わり、いい歳になりました。

その間は収入も伸び、人生一人なら安泰〜などと思っていましたがまぁ危機感を覚えて辞めました。

 

そこを多少なりとも詳しく話すと、働いている 間は、独身なら厚い待遇です。アツい。アツいよ公務員。小生意気なGALをCan!と言わせたれ!so you can do it !

 

しかし冷静に考えるとあの職は専門職。他の業種、業界ではまぁ融通が効かない。

だって売り上げとか関係ない仕事だもん。

稼ぐ事に対してのマインドが花開かないので長く居ればいる程外の世界と感覚や意識に差が生まれていってしまうのです。あと転職難しいよね。皆どうしてるのかね。

加えて、管理職にならない限り現場民として60歳前後まで実務労働せにゃなりません。えええーそれはちょっと気力体力持つかねー?

精神的肉体的にパワーパフボーイズでない私みたいな人間たちはちょっとキツいと思うんですよね。今の子たちってなかなか難しいしね。

さらに離職率の高い業種でもあるので、一度就いたらもうその仕事にしがみ付くしかない。されどもかっ飛ぶ時代と現代っ子達そして価値観という名のスーパーカー。

トイストーリーならテンションがV字回復するラストのワンシーンですがこっちは回しっぱなしのドキュメンタリーなのでカットが入ったらそのまま終劇となる。なんだよカップルシートって。

 

そんな訳で心身ともに強靭もしくは仕事大好き民、あるいは悟った長老的な方々でないとやらん方がいいーという結論に至ったのです。一生続けるつもりでないなら早めに去った方が身の為です。

 

んで、今はその頃とはうって変わってバイトをしている訳ですが、なかなか社会的地位のある仕事をしていた所からバイトになった訳で、なんだかこれって落ちぶれた感じがしませんか。どうですか。それを言うなら帰国してただの無職になった時点でそうなんですけども。

しかし実際にバイトに入ってみると、パートの方々や学生、社員など様々な人が既に働いている訳です。そこに正月とかは関係ない。

むしろ客多過ぎ。洗い物の津波。

私は一時の間、こんな学歴でありがならちょっと世の社会人の平均あたりに浮上しましたがその後中年新人バイト君になり、「これは今ひょっとして自分は人生の負けコースを歩んでいるのでは」と思ったのですが、そこで目まぐるしく働いている人たちを見て、とある著名人の「日本を動かしているのは名も無い労働者達である」と言うのを思い出した訳です。

 

つまりこれって別にその時たまたまそこにいるだけで、引け目とか負い目とかを感じたり、そう思うように仕向ける方に問題があるのではないのかと思った訳です。

職業に貴賎なしというよりもう少しふわっとしたものです。

 

長年私にあった価値観は、二十代はまぁいいとしても三十代、四十代にもなったら身を固めて、人が聞いて安心できるような身分、立場、収入、地位を持っておらんといかんというものです、が、なんですかねそれ。

それは多分割とスタンダードな価値観だと思うのですが、最近私はそれを疑っています。理由は承認欲求で解決する話だよねって事。

 

何もすることややりたいことがないのであればとりあえず仕事でもしてるとお金も手に入るのでおすすめですが、承認欲求を取っ払った場合、初めて他人に左右されない自分の人生を歩めるんじゃないのかなーと。

んでお金については、もちろんある方がいいのですが、日々大変苦痛な思いをしてまで稼ぐその金は、果たして君を幸せにするか、救うのか、ということ。

 

散財癖や浪費癖があり困っている人はこれを読んでみてください。解決案です。

 

shivateli.hatenablog.com

 

仕事が耐えられる範囲もしくは好きなら良いんですけどね。 

 

そんなこんなであとは自分の中で折り合いを付ければ何歳で何をしていようと別に納得して選んでるのなら別にいいんじゃね?という所に落ち着くわけです。

そうは言ってもある程度の蓄えがないと心配!不安!という人は、預貯金頑張ったらいいと思うのですが、私的には最悪無くても大丈夫なマインドに自分をセットしておいた方が割と気楽になれるのではないのかなーと。

それには支出と金銭感覚の見直しが必要なんですけどね。なので上の記事を置いておきました。

 

そんなこんなで結論としては今の立場に甘えるのは自分の目的に沿っていないから良くないけども、今の立場そのものが良くないということはない、という話でした。

全力で否定する意見も有りだとは思いますそういうマッチョな考え方も。

 

んでも毎日健やかに生きられてればそれでいいんじゃないの?という考え方を忘れるとどんどん人は不幸になっていくと思います。

 

あと、それでは将来が不安、心配、というのはもっともなのですが、それに対する答えは、そうならないように準備を進めようと言う事と、そうなってしまってもOKなマインドでいたらいいよと言う事です。

自分で自分を認められない状況を作るのは自分なので、どう転んでもその中で考え得る最善を尽くせばいいのではないかなぁと。あとは自分を信じられるかどうかですね。

 

何やらふわふわしてきてしまったので2020年の抱負でも書いときますか!

 

えー...

 

自作サイトは完成させます。マル。

 

自信に根拠はいらないよ!

 

なぜか自分なら大丈夫と思って!

YouTubeを始めてみた感想

どうもこんばんは。

最近一日の食事が菓子パン一個と夕飯とかになってる為か、自身にあまりエネルギーを感じなくなってきています。

が、授業中は(というか一人で課題解いてるだけだけど)それなりに集中して取り組んでたりします。ブドウ糖が全て。

 

11月というのは一年の中でも印象に残らない月でありまして、そんな中でガジェ通の野島さんのバーに行ったのがきっかけでYouTube始めました。

 

とりあえずやってみて。

超再生数伸びてません。再生してくれる人のほとんどが友達か知り合いという。

むしろもう彼らの為に続けようか。いっそ永久に眠ろうか。

 

SEO対策としてタグは色々と引っかかりそうなもの入れてみました。

が、既にそんなの猛者が検索上位に食い込んでいます。ずっと下の方に申し訳程度に出てくるのが私です。(笑)

まぁあとは他のクッキングチャンネルの出来が良いです。

きちんと顔出していたり、TVの様にしっかりと撮影されていたりと。。

あとは作り手のキャラクターとかをしっかり出すとかで差別化をはかっている様です。

 

そうそう私のチャンネルは今の所クッキングチャンネル化しています。

理由は、

・自分にできる技能がそれくらいしかない。

・面白いことはやれないし、言えない。

・予算がない。

・自分の調理メモにしたい。

こんなところです。

もとより私は人を笑わせたり楽しませたりという才には恵まれず、オーディエンスとしてグループの中で胡座をかいていたので、いざ人前(カメラ前)で何ができますかとなるとそんなものだったということです。

 

ただ!YouTubeは面白い!

何がかというとpremierProという動画編集ソフトを使って編集をするところからです。

これは、前の職場で番組作りをしていたこともあり勝手がすぐ分かりました。

WindowsとAdobeでも大まかな作り方は同じなのです。

なので毎動画新しい使い方を知るためにYouTube上で使い方を検索しながらLIVE状態で模倣して編集しています。

そして、動画をアップして様々な設定を加えて公開し、反応があると良いもんです。

YouTubeスタジオにもちょっとプロっぽい機能が便利に使える様になってたりするので、今まで見てきた動画と似た様な設定を画面上に出すことができたりしています。

 

第一回目の投稿。


YouTube史上最速でどん二郎できた

 

チャンネルのこれから。

 とりあえず今は作ろうと思っている料理動画を全部作りきってしまいたいと思っています。まだ一応ある。

それは、安くて美味しいものを世に伝えたいという思いがあります。

美味いかどうかなんてわからないとは思われますが、そこは私が自分の舌に自信を持っているからあんまり気にしていません。

 

あと、どんなコンテンツが見られるか分からない不透明さがあるんですよね。

今までと全然違うことをやったら伸びた、とか。

マスザワ内閣さん曰くジャンルは絞れという話なのですが、

もし他ジャンルのコンテンツを入れるなら、それはそういうシーズンというかリスト化してやりたいと思います。

 

しかしやってみて思うのは、ネタ切れってすぐに来そうということです。

そんな引き出しの多い人生送っていないので、企画を考えないとこれは辛い。

まぁ自分のやりたい事をやれば良いので仕事とは違い楽しみはありますけどね。

カメラの前で一人で喋ったり説明したりというのは、なかなか難しいです。

 

今後の目標

今目指しているのはチャンネル登録千人です。そこで初めて収益化ができます。

あと、スマホでライブ配信が可能になります。

千人達成の為の手段は色々ある様ですが、、、ニンともカンとも。

風の噂ですが登録者千人は上位15%に入るんだそうで、

となると千人以下が8割強なわけですね。なんだか見た事ある構造だな。。

 

ただ、収益化してYouTubeで食っていこう!みたいな事は考えていません。

何故ならそれは宝くじ当たるレベルの無理ゲーだからです。

今日プロ奢さんも言ってましたしね。悪手だと。

 

ただ私の場合は、コンテンツに加えて、動画の編集スキルが欲しいのです。

このスキルがしっかり身につくと、多少小銭を稼げる様になります。

動画編集マンの市場はこれから伸びたとしても非常に緩く、あと編集ももっとこれから簡単になるので身入りがそんなよくなるわけではないでしょう。

ただ動画広告なんかは増えていくとか。

なのである程度premierProをやり終えたら編集案件を取りに行こうと思っています。

もうこれがバイトですよ。バイト四連続で落ちた私の残る道。

 

いつかは編集だけやる様になるかもしれませんが、自分で一から動画を作って試行錯誤してという経験は、編集を任せる側からしたら有って困るものではないと思います。

本当に動画は編集の仕方が絵の様に様々なので、色々な効果の入れ方を身につけて行こうと思ってます。

 

余談

編集作業にかかる時間なのですが、覚悟はしてましたがめっさ長い。

集中力が無いので日を分けてやったりしますが、それでも短くて二日、三日かかります。時間で言うと8~9時間くらい。

色々新しい取り組みを加えながらやるとなると、もう学びながら編集なので10時間以上余裕でかかります。

これを働きながらやってる人は本当に凄いわ。編集時間を超削らないと。。

編集は凝ろうと思えば永遠に凝ったものができますが、それは面白さとは関係がなかったりするので、見極めが肝心です。

あと登録者千人未満はYouTuberと言えないのではという私なりの印象があります。(笑)

 

あとはアイコンがドラえもんなので、そこは著作権の問題があると思うので変えなきゃいけない。。アイコン何が良いかなぁ。ダメかなぁドラ。

 

宇宙猫とかは容赦無く使っていきます。


楽天ナンバーワンレシピは伊達じゃなかった。ただあんな失敗をするとは...

 

今の所この内容で週一がいっぱいいっぱいなんですぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※おまけ

ひろゆきさんのモノマネしている西村ひろゆかない氏の動画にラーメン屋の客役で出てます。


【ひろゆき】2ちゃんねるネタ再現【ものまね】